先日小5の算数の授業のときでした。
ある文章題の内容が1クラスの生徒の国語と算数のテストの点数の分布に関するもので、どちらも0点の生徒が2人いました。
「あ、0点がいる!」と誰かがおどろいたように言いました。
私は「そら、0点もいるやろ。」となかば同情的に返事をし、自分の0点の思い出を話し出しました。
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私はカトリックのミッションスクールに通っていました。
倫理という時間があり、キリスト教の教えを中心に授業がなされていました。
神の存在証明に関するものだったでしょうか、因果律という私には抽象的すぎてわけのわからない言葉が出てきたのを覚えています。
定期テストのとき、教科書に書いてあるそれらの用語の定義などを覚えていればそれで済むはずだったのですが、私には意味がわからないのでなかなか覚えられません。
試験の当日、ついに白紙に近い状態で出してしまいました。
その結果は0点でした。
運が悪いことにそれは中3の1学期だったのです。
秋には高校に進級するため校長先生との個人面談がありました。
「成績のことなど聞かれなかった。」「高校に行って何をやりたいかを聞かれた。」など面接を終えた連中は皆明るい顔でした。
しかし、相手が恰幅のある今まで接したことのないフランス人の神父ですので、校長室に入る頃には私は気が滅入っていました。
自分の番になってそんな不安が適中しました。
神父は厳しい顔つきでじっと私を見詰め、倫理の点数について問い糺してきたのです。
「倫理が0点というのはどういうことですか。」私はしどろもどろで何を言ったのか覚えていません。
何もキリスト教に反感を持っているわけではなく、私の頭には抽象的すぎるものだと言いたかったのでしょうが。
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私は具象化したものや、意味づけしたもので理解したり、覚えたりする傾向が強いタイプだと思っています。
英単語を覚えるのは大の苦手でした。
逆にそのお陰で受験算数の指導には役立っています。
図や表などで自分なりに理解しやすい解説を心がけていますが、生徒には概ね「わかりやすい」と好評のようです。
最近、プロテスタント系神学大学のある講師の好意でキリスト教神学の初歩を個人指導していただくことになりました。
これも何かのめぐり合わせでしょうか。