海ならず たたへる水の底までも 清き心は 月ぞ照らさむ
これは、菅原道真公が、無実の罪で太宰府に左遷されるときに詠んだ御歌である。
この御歌は「海よりもさらに深い清い心を月だけは照らして明らかにしてくれるであろう」と自身の意見も主張できないまま左遷が決定してしまった道真公の心情を表している。
左遷から二年後に亡くなり怨霊だなんだと恐れられた道真公は、最終的に京都の北野天満宮に学問の神様として祀られる。
今も天神さまとして多くの人々から信仰されている存在だ。
しかし、幾ら生前学問に秀でた存在であったとしても、怨霊として恐れられたこともある道真公が何百年の時を経ても尚、こうして人々から崇め称えられているのはどうしてだろうか。
それはけっして勉強がよくできたからという理由だけではない。
彼の生き様・考え方が今日の信仰へと繋がっているのだ。
幼少の頃より学業に励んでいた道真公は、「和魂漢才」という考えの持ち主であった為、その精神は様々な天神伝説を生みだした。
菅原伝授手習鑑という道真公の伝説や精神に基づき創られた義太夫浄瑠璃がある。 その浄瑠璃の中の「筆法伝授」の段を例に考えてみよう。
帝は道真公に、菅原家に伝わる秘伝の筆法を誰かに継承せよと命じる。
本来なら子に継がせるべきだが道真公の子はまだ幼く継承することができない。さぁ誰が継承するのか。
道真公の古参の弟子である左中弁希世が「我に伝授を!」と名乗り出るが道真公はこれを良しとしない。
希世は筆を極めたいわけではなく地位や名誉が欲しいだけであり、道真公はそれを見抜いているからだ。
そんな中、道真公は武部源蔵を呼び寄せる。
源蔵は昔、道真公の一番弟子だったが、御法度とされていた道真公の奥方様の腰元(侍女)と恋仲になってしまい勘当・破門され、今は村に寺子屋を開き近所の子ども達に字などを教えている身だ。
社会的地位とは無縁な寺子屋を開いている源蔵に道真公は感心し、筆の道を捨てなかった源蔵の精神と実際に源蔵が書いた字を見て満足した道真公は源蔵に筆法を伝授することに決める。
下心があるとは言え、希世も道真公の古参弟子。そこらの人間よりは良い字を書くが道真公はその字を「俗まみれ」とばっさり。道真公が大事にしていることが何かということがよく分かる。
菅原伝授手習鑑は創られた物語ではあるが、道真公の清らかで誠実な人柄が忠実に描かれている。
学問に秀でており物事を冷静に判断する能力を天皇に重用され、右大臣にまでなった道真公は敵も多かったが、その人間性に惹かれ慕う人々も多かったのだ。
希世が身に付けたものは形だけで中身はすっからかん。
形だけ身に付けることは誰にでもできる。
道真公が得意とした情緒豊かな和歌を詠むということは、ただひたすら答えのある問題集を解くだけでは取得することができない。
何百年が経とうとも、菅原道真公が天神さまとして人々から信仰されるのはこのような由縁があるからだ。
と、このようなことをつらつらと考えつつ、一月一日、受験生である六年生を連れて北野天満宮にお詣りをした。
怨霊であれ神様であれ、どうか彼らにご利益を!と身勝手なことを思いながら。
もちろん彼らはそんな私の思いなど関係なく、受験勉強の合間のこのひとときを心から楽しんでいた。
学を真に身に付ける為に必要な人間性や感性は問題集には載っていない。
塾生である彼らが必ずどこかでそれを身に付けるだろうことを私は信じている。
筆者:佐藤