入試問題に出題される国語の読解問題は、大別すると論説、随筆、小説の三つに分けられます。
他にも詩や短歌、俳句なども出題されることがありますが、大半は先ほどの三つに知識系を問う問題(漢字、熟語、文法など)がプラスされています。
今回は、小説・物語の読解方法を論説文編と同様に問題作成者の視点から探っていきたいと思っています。
まず、作者および読者の目線から「小説」をどうとらえるかといえば、小説とは、ズバリ「人」を描くものと単純に定義しておくことにします。
ここで厄介なのが「人」と一口にいっても、本来の性質(性格・人格)もそれぞれ異なりますし、置かれた立場でもさまざまに、時には刻一刻と変化していくとても面倒なものが「人」あるいは「人間」である、ということです。
小説は、そういう「人」に読者が感情移入しながら時に共感、時に反発しながら架空の人物に自己をシンクロしていくのが読む愉しみなわけです。
したがって、ときに読者は作者の意図しなかった読み方をすることもあります。
つまり、読書という行為は本来とても自由な行為で、決まった読み方や方向性などは存在しえないといえます。
しかしながら、入試において出題される「小説」での設問に対する解は、
客観的な、誰もが納得しうるたった一つの正解しか存在しない
ことを前提に存在しています。
自由さや多様さなどとは対極に位置していますし、そうでないと入試問題としては不適格の烙印をおされることになります。
ここから導き出されることは、入試における「小説」の読解には相応の形があり、正解とする根拠もまた、誰も異論をはさむ余地のないものとなるはずです。
前回の論説文編では、問題作成者は、文章中のあいまいなところ をさがして、正解の根拠が見つかれば、そこを根拠にして線を引いて設問にすると書きました。
小説もおおむね同様なのですが、小説の場合は先ほど書いた通り、読み方によって多様な面があるため、あいまい過ぎる 部分は問題作成者にとって、答えを限定する根拠に乏しいゆえに、設問にしにくい、という事実、制約が存在します。
このように考えると、小説では、論説文以上に設問に対する解の根拠が明確になるはずです。
さらに小説の読解で注意したいのが、小説の作者はすべてを描き切って読者に提示するものではない、つまり、論理の飛躍を補いながら書かれていない「行間」を読む必要があるということです。
ただし、当然ですが「行間」には何も書かれていませんので、入試問題を解くうえで、自由に行間を読んでいくことは不可能になります。
【 小説の読解 ≠ 小説問題の解き方 】
ここにはとても大きな隔たりがあると言えます。
この隔たりに存在しているのは、もちろん問題作成者です。
イメージ的には、
【 小説の作者 ← 問題作成者 ( = 明確な根拠をもった解答を持つ者 ) → 解答者 】
そして、先ほどの行間を読んで解答の根拠を作っているのも問題作成者です。
だから私たちは論説文以上に、この隔たりを丁寧に埋めていく必要があります。問題作成者の意図するところ、さらに問題を正答としうる根拠を深掘りしていかなければなりません。
もちろん、入試問題の作成者はやみくもに、無尽蔵に問題を作り続けているわけではありませんので、一定の型、パターンの存在を意識していけば正答率が上がってくるはずです。
では、今度は実際の問題を解きながら具体的な解き方をやっていきたいと思います。