幼い頃に目上の人に言われた言葉が、後になって考えてみれば自分の為になっていた、という経験をしたことはあるだろうか。
私はほんの些細なことがきっかけで、言われた当時は何となく聞いていた言葉をふと思い出し、その言葉の意味を今になって理解する瞬間がよくある。
一歳、また一歳と年齢を重ねるにつれ、嬉しいことも辛いことも経験してきた。
そしてその経験があってこそ心というものは育っていくと考える。
たまたまテレビで、懐かしいアニメ「おじゃる丸」が流れていた。
自分の子どもがまだ小さい頃よく見ていた子ども向けアニメだ。
オープニング曲は昔から変わらず北島三郎さんの「詠人」という曲で懐かしさを感じながら見ていた。
が、改めて聴くとこの曲の歌詞がとんでもなく心に刺さる。
“夢を描いて 高い空見れば
届く気がして よけいに悲しくてぽーつ ぽーつ 雨が降りゃ
乾いた土に命が芽生え
にっこり 花が咲くまったり まったり まったりな
急がず焦らず 参ろうか”
自分の子どもにも塾で教えている子どもにも、勿論夢を持って生きていってほしいし、折角持った夢ならば叶えてほしいと思う。
だが、夢や人生というものには必ず困難が立ちはだかる。
その困難に対して、人によっては失敗をすることも諦めることもあるだろう。
“それ”を経験している時はとても辛い。
しかしこの自身の無力さを痛感するということもまた、心を育たせるという面では非常に重要な役割を果たしている。
辛い経験をしたからこそ次に活かせることもある。
いつか花が咲く日まで焦らず進めばいい。
北島三郎さんはおじゃる丸を通して子ども達に助言しているのだ。
おそらく、今、おじゃる丸をよく見ている年代でこの歌詞を理解している人間はいない。
いたとしてもごくわずかだ。
現に私自身も改めて聴いてみないと気付けなかった。
たまたまテレビを見ていて、たまたま流れた曲を、たまたま聴いただけである。
たまたま聴いたこの曲がこんなに心に刺さったのは生きてきた中で辛いこと苦しいことを経験したからだ。
そして今、おじゃる丸を見ている子ども達も大人になった時にこの曲をふと思い出して意味を理解してほしい。
春は新たな門出の季節である。
入学式や卒業式で子ども達が明るい未来へと歩めるように多くの祝辞が述べられる。
人は誰しも挫折などしたくはない。
進む先は希望に満ち溢れている方がいいに決まっている。
しかし人間性の構築において、何でも上手くトントン拍子に物事が進むということが必ずしも正解というわけではない。
何の失敗もなく不自由もなく生きている人間に北島三郎さんの歌の良さは伝わらないし、流れていたとしてもきっと見向きもしないだろう。
きっかけは些細なことかもしれない。
だが心が育つ瞬間というのは年齢関係なく訪れる人には訪れる。
「曲を聴いて感動して何になる?自己満足だ。」という考えの人もいるだろう。
確かに一理ある。
しかし、1+1=2という決められた答えでしか動けない人間よりは「嬉しい・悲しい・楽しい・辛い」といった感情を豊かに持ち合わせ、自身の経験から心を育たせている人間の方が様々な困難に対して臨機応変に対応できると思うのだが、これを読んでいるあなたはどう思うだろうか?
筆者:佐藤