私の人生(8)
私がいつも社員に説いている「目標達成」の哲学
「人生というものは思うようにならないものだ」とよく言われますが、そうではありません。
思うようにならないと最初から思っているからうまくいかないのであり、ここを否定したのでは、もう、そこに曇りがありますから、思いどおりにはなりません。・・・
「いかにして自分の夢を実現するか」ロバート・シュラー※ 三笠書房
引用文は監訳者稲盛和夫氏解説部分 ※牧師
上記のようないわゆる「成功哲学」「可能性思考」「積極思考」なる成功法則は、キリスト教を背景に主にアメリカにおいて作りあげられたものだと私は思っている。
鉄鋼王アンドリュー・カーネギー、フォード・モーターの創業者ヘンリー・フォード、実業家でもあり慈善家でもあったジョン・ロックフェラーなどアメリカ史上に残る大実業家達はこの鉄則の実践者であることは御存知の方も多いだろう。
しかし、信徒数で日本とは比較にならない規模のアメリカプロテスタント教会の一部の牧師たちもこの法則の信奉者だったことは現在あまり知られていないようだ。
他方、宇宙の創造主たる唯神の全能性と西洋の合理主義が合体したこの人生観には以前から対極的な考えもあった。
近刊の「心」(姜尚中著 集英社)、「無力」(五木寛之著 新潮社)の立場はそうだろう。
ただ、何としても自分の学習塾を一人前に育てたいと思っていた当時の私は、このような「夢の実現」に関する本を読み漁った。
その頃生徒数も、廊下で学習してもらうくらい増えてきた。
そこで近くに分教室を設けることにした。
住宅街であったので探すのに苦労したが古いビルの一階にやっと適当な物件を見つけることができた。
念願のクラス指導もできるようになった。
と、好事魔多しとはこのことか。
当の家主はビルの解体を前提としていたにもかかわらずそれを伏せて賃貸契約を結んでいたのだ。
そのことを知ったときには腹が立つと同時に先行きに大きな不安を感じた。
ところでその頃、塾へはそう遠くない大通りに面した住居から私は毎日通っていた。
近くに同じく通りに面して大きな空きテナントがあった。
保証金も家賃も桁違いで手の出せるようなしろものではなく、さらにスケルトン(内装がされていない状態)だ。
「どんな人が借りるのかな」と思う日々が続いていた。
そんな時にこの事件。
替わりの分室を探し回ったが全く見当たらない。
思いあぐねているとき、いくつも読んでいたある「積極思考」の本の一節を思い出した。
「不可能だと切り捨ててしまうのではない。ゲームだと思ってそれは可能だとの結論から逆算してみたらよいのだ。」
そうだ。
「この空きテナントを借りられるとしたらどうすればよいのか。今の自分には到底無理なことは分かっているが、それとは別に考えることは自由ではないか。」と気持ちを切り替えて、いろいろな案をさぐり始めた。