私の人生(3)
「…かつて私は、私には信仰の動揺などありません、と語ったという人のことを聞いたことがあるが、信仰とはそんなものではない。信じるとはいつも不信との戦いである。…」
(旧約聖書一日一章 榎本保郎 主婦の友社 p.52)「…川の水がかれているから渡ることは困難ではない。しかし、神の言葉を信じて、川の水がいまだ両岸に満ちているときに、足を水ぎわに入れることはむつかしい。しかし、信仰とはそのことである。…そして、そのとき神がその全能のみ力でなしたもう栄光を見ることができるのである。
(同著 p.208)
一見矛盾した榎本氏の見解に私は感動した。
遡れば小学校の低学年の頃から母はクリスチャンになり、私自身ミッションスクールにも通った。
とはいえ、今までの私には信仰は他人事であった。
しかし、どん底に落ちた現在の私の傍に「全能の神の力」が存在することを知った。
信仰とは聖書のみことばにおいて直接神と結びつくものである。
聖人に接したから信仰が芽生えるわけではない。
また他のクリスチャンを隣人として受け入れ難かったとしても、それで信仰が揺らぐことがあってはいけない。
とはいうものの、当時の私にとっては「神の力」(ふつう信仰の中心は「神の愛」と言われるのだが)の生き証人が必要であった。
感動とともに私は榎本氏に是非会いたくなった。
そして神の存在を確かめたかった。
ただ残念なことに氏はこの世におられなかった。
ほんの少し前壮絶な死を遂げておられたのだ。
氏は同志社大学神学部出身、私の実家のすぐ近くの教会で牧会の手伝いをされ、京都の世光教会を立ち上げられた。
京都の地で同期間を少しでも共有していたことを知ったときは何たる不運かと嘆いた。
ところが神は私を見捨てなかった。
アメリカの宣教師バーニ・マーシュ先生を与えてくれたのだ。
榎本氏と信仰上多少立場を異にするが、そこにはやはり生きた神がいた。
まさに「信仰とは望んでいることがらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(新改訳新約聖書 ヘブル人への手紙 11章1節)を地で行う信仰の方なのである。
先生の元には多くの若者が集まっていた。
生活は苦しかったが、私はそこに行くのが楽しかった。
そして何よりも先生の祈りには力があった。
私が無けなしの金で塾兼住居として借りた元民家の2階(家賃7万円)で、1つ1つ机とイスに手を置いて「この教室が満席になりますように」と熱心に祈ってくださった。
イエス・キリストのことば「…あなたがたは、世にあっては艱難にあります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
(新改訳新約聖書 ヨハネの福音書 16章33節)