【利他】
① 自分を犠牲にして他人に利益を与えること。
他人の幸福を願うこと。⇔利己
② 〔仏〕(阿弥陀仏が)人々に功徳・利益を施して済度※すること。
広辞苑より
※済度=仏・菩薩が苦海にある衆生を済い出して涅槃(煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態)に度(わた)らせること。・・・
同じく広辞苑より
前回でも述べたが、父から渡された書籍「利他的な遺伝子」で私が衝撃を受けた「利他行動」は、「犠牲的行為、いわば自らは捨石となる行為」だったのである。
その意味で父が使った「利他」なる言葉は、上記①の意味そのままを意識しているものではないと思う。
どちらかというと、「利他」と「利己」の間の「無私」(私心のないこと)ぐらいか。
しかし、父が宗教的、哲学的背景を感じ、その本を買ってしまったのは②の意味からすると間違いではなかった。
ところで「利他」なる言葉は調べてみると結構使われている。
たとえば京都の寺で得度をし、僧名もある企業家の稲盛和夫氏はその著作「生き方」(サンマーク出版)の中で――「利他」の心とは・・・私のような企業人であれば会社を経営していくうえで欠かすことのできないキーワードであると思います。
・・・・・そのような周囲の人たちを思いやる小さな心がけが、すでに利他行なのです。
――と述べておられる。
しかしこれは広い意味の「利他」であり、私の言わんとする狭い範囲の「利他」とは異なる。
また、作家でありながら同じく得度した瀬戸内寂聴氏はある新聞に――幸い京都には日本天台宗の開祖、伝教大師最澄の「忘己利他(もうこりた)」の教えが伝わっている。
自分を忘れ他者の利益や幸福のため尽くすことこそが慈悲の極みだという。
日本が、いや世界中がかつてない不安におおわれている今こそ、忘れていた「思いやり」をとりもどそうではないか。
――と書かれていた。
「利他」なる語は広辞苑によると顕教から由来しているようだが、氏の解説によると密教のものらしい。
まあ、それはともかく氏も最後は「利他」を「思いやり」まで広げてしまっているようだ。
もちろん人々の間での「思いやり」は大切なことではある。
としても、「自分の命(あるいはそれに匹敵するもの)を捨ててまで他人を救う行為=利他行動をできる人間がなぜ存在するのか」、私にとっては父との会話をきっかけに、それが大きな関心事となってきたのである。