私が入江塾に入塾したのは4年生の2月(小学校では3年生)のときでした。
もともと、勉強が好きで大変なことは先に終わらせたいタイプだったので、中学受験に興味を持ち、入塾しました。
ドキドキ、ワクワクしながら土曜日の最初の授業を受けにいきました。
そこで、「えっ…」となかなかに驚いたことを今でも覚えています。
「生徒少なっ」
私をふくめて3,4人くらいしかいなかったと思います。
失礼ながらも、「この塾大丈夫かな」と思いました。
まあ、とりあえず席に着き授業を受けました。
その授業がまぁ面白い、面白い、「塾楽しいかも」と色々衝撃を受けながら帰りました。
そこから、毎回の授業を受けるうちにさらに面白くなり、友達ができていました。
5年生になり、だんだん苦手な教科が見えてきました。
算数ができない。
他の教科はまだ好きでしたが、算数となると思考がストップしてしまうクセがありました。
模擬試験が始まり、算数の苦手意識が消えないまま臨んだ一回目は偏差値44、得意な国語との偏差値の差が20、30くらいあるときもありました。
6年生では算数をできるようになるために佐藤先生に個人指導をお願いしました。
佐藤先生の文系的な説明が分かりやすく、そこから少しずつ偏差値50以上がとれるようになっていきました。
そして、八月に第一志望の同志社女子中学校の推薦を出し、通りました。
それから無事に合格することができました。
本当にありがとうございます。
他の大手塾に行ったことがないので本当のところは良く分かりませんが、1つ断言できることがあります。
それは私は入江塾だからこそ、ここまで成長できたということです。
まず、先生。
先生が面白く、でも分かりやすく教えてもらいました。
特に、暗記が多い社会は木村A先生が実体験や例をふまえながら、より頭に残りやすいように授業をしてくれました。
また、複雑なこともある理科も八木先生がいたって単純に理解しやすいように教えてくれました。
木村A先生が黒曜石でつくられた石器を説明するためにティッシュペーパーの箱をホワイトボードの溝にうちつけて、みんなで引きぎみに笑っていたことや、弥生時代のムラどうしの争いを教室の生徒を2つのグループに分けて再現したことは、今でも覚えていて笑えます。
そして、やはりラスボス(?)の佐藤先生のことを書かずにはいられません。
いつも何かしら笑っていて(笑いをとっていて)、しかもめっちゃくちゃ分かりやすい。
本当にありがとうございます。
泣きながら塾に行ったときも、結果が悪くて悲しくて不安でくやしかったときも、「今までこんな子がいたから大丈夫!!実はこんなこともあってんでー!!」とはげましてくれ、自然と周りのみんなも私も、腹をかかえて笑っていました。
長くなって申し訳ないですが、最後に友達のことを書かせてください。
みんな個性的で、佐藤先生が「普通の子が…」と1日に20回ぐらいなげいていました。
おかげでいつも楽しく過ごせました。
成績によるクラス分けがないので、みんなが仲良く卒業しても会いたい友達ばっかりです(ちなみに6年生は25人ほどに増えました)。
入江塾は演習中におやつがもらえるので(※編者注 6年冬期と直前期のみ)それを食べながら話したりするうちに、もっと仲良くなりました。
元日に北野天満宮へみんなと行き、帰りに塾からもらったおこづかいでおやつを買ったり、最終日に寄せ書きをして写真をとったり…。
たくさんの思い出ができました。
もっといたい、大好きな入江塾。
国語を丁寧に教えてくれた小林先生。演習で算数も理科も教えてくれた木村T先生。理科を分かりやすく教えつつも男子にビシッとツッコンでいた八木先生。たくさんの話をしてくれた木村A先生。
私も将来、こんな先生になりたいという夢ができました。
そして、心の支えであり、深い愛がある佐藤先生、本当にありがとうございました。
感謝しかありません。
またちょくちょく来たいです。
ありのままを書いています。
忘れもしない小学校3年生の3学期。
娘が朝刊に挟まっていた塾のチラシを見て「塾ってあるんや、行ってみたい」と言ったのです。
私は勉強嫌いでしたのでキッチンで茶碗を洗いながら「なんでそんなところにわざわざ行くの!!」と突然にして逆ギレしたのがスタートでした。。。
中学受験を経験した夫はすぐに娘の気持ち理解し、「受験はまだ先なので今は考えなくてもいい、まずは経験させてあげよう」と言い、塾をほぼ直感(笑)でこちらに決めていました。
直感の中には宿題が少ないというところ。演習があるので先生に質問できる時間があること。その2点が含まれていました。
それから塾生活がスタートしました。
しかし、正直私は娘が5年生までは100%賛成ではなかったのです。
というのは、私の価値観では「子どもは友達と外で遊ぶのが本業」だったのです。
ですので勉強ばかりしている娘を見て「かわいそう」と思っていました。
それから6年生になる前でしょうか、このまま娘は受験をするのだろうか…、本当にそれでいいのだろうか…、まだ小さい子どもなのに勝ち負けの世界になんて…、と心がざわつき始めたため、受験に関する本を読んでいました。
その本の中で、『多くの大人がお休みの日にサッカーやスポーツで練習に行く子ども達には、「頑張ってるね!」という声援。
重たい塾のかばんを持っている子には、「お休みの日にまで勉強ばかりさせられてかわいそうに…」という気持ちがあるようです。
スポーツで頑張る子がいるように勉強で頑張る子がいるのです。
受験生はペンを持ったアスリート達なのです』というような内容だったかと思います。
それを読んだ瞬間、知らず涙が出ていました。
私は娘に自分の価値観を押し付けてしまっていたこと、勉強が好きな子、挑戦したい子もいること。
それから自分の心が落ち着き全力で娘の応援体制に入りました。
入江塾と他の塾と違うと実感したところがあります。
それは習い事との両立です。
娘は5歳から習いごとをしていますが、受験するには6年生からは習い事は休むのが常識と思っておりました。
でもどこか腑に落ちないところがあり、佐藤先生に相談しました。
お返事は、「習い事などはできれば続けてください。ずっと勉強ではなくその時間があることでリフレッシュできますよ」との返事でした。
「やっぱりそうだ!」と思い習い事の先生に早速伝えると応援してくださいました。
いつもの仲間に会い、週1回リフレッシュの時間が持てました。
娘にとってこれがとても良かったです。
娘の塾生活はそれはそれは楽しくて楽しくて書ききれません(笑)
いつもお土産話があり、家族で話を聞きながら楽しい夕食をいただいていました。
そしておかげさまで自己推薦から合格をいただきました。
本当に嬉しかったです。
この塾とご縁があったこと心から感謝致します。
バスに入江塾の広告で「ソフトな塾」と書かれていたのにびっくりしたことがあります(笑)
私が思う「ソフト」という意味は、子ども達を競争だけに目を向けさせることではなく、仲間たちや先生達と一緒に個々にあったやり方で最大限の力を発揮できるよう先生達が見守ってくれている(愛あってこその厳しさもあります)。
そういう「ソフトさ」という意味だと思っております。
先生、意味が違っていましたら申し訳ございません(苦笑)
以上このようなありのままを書かせていただきました。
私は4年の秋に入江塾に入塾しました。
しばらくは授業を受け、出た宿題をこなすだけの日々を繰り返していました。
5年になってから受けた五ツ木模試では、苦手な理科と算数で偏差値が50台前後をさまようことも多々あり、40台になることもありました。
そんなことが続いても、私は危機感を持っていませんでした。
しかし、5年の夏くらいに同志社女子中学の説明会に行って目標が定まり、自分が苦手だと感じた教科の復習を家でしたり、理科や算数の予習シリーズの練習問題を解いたりして少しずつ努力をしていきました。
6年の夏以降は、五ツ木模試で、理科や社会の偏差値があがったり下がったりをくりかえし、このままで大丈夫なんだろうという不安も出てきました。
そこからは演習の数も週2から週3,4に増やし、赤本で過去問を解き、家に帰ったら復習をすることを頑張りました。
課題が溜まっているときは、八木先生に課題を減らしてもらったり、自分の本命校の問題を増やしてもらったりしました。
最後の方は算数の問題が解けると、達成感を感じ、いままで苦手だった勉強が楽しくなりました。
そのおかげで年明けから受験の前日まで毎日たのしく演習に行きました。
受験前日の寄せ書きをする時には、みんなで励ましあいました。
帰る時には佐藤先生に喝を入れてもらって、絶対に頑張ろうと思いました。
受験当日、校門の前で八木先生とみんなが待っていて、安心しました。
試験を受ける直前には、先生方の応援メッセージをみて緊張がほぐれ、いつも通りの実力を出し切ることができました。
結果は合格でした。
入江塾では友達もたくさんでき、塾に行くのが楽しみでした。
また、入江塾では大量の宿題や課題が出なかったので、趣味のピアノも前日まで練習を続けることができました。
本当に最後までありがとうございました。
4年生の11月から入塾させていただきました。
大手塾の体験にも行かせていただきましたが、教室にテストや模試の順位表が貼ってあったりと雰囲気が合わなかったようで、自分のペースで勉強できそうな入江塾がいいと娘が言いました。
また30年以上も大昔ですが自分自身の中学受験の経験から、晩ご飯を家族一緒に食べれなかった事や勉強しすぎて希望の中学に入ったものの燃え尽きたこともあり(泣)入江塾の方針に共感をもちました。
入塾してからは、マイペースな娘の勉強への向き合い方に不安を覚えて何度もお電話にてご相談させていただくと、いつも八木先生、佐藤先生が「お母さん、大丈夫ですよ!塾では娘さん頑張ってますよ」「中学受験は通過点にすぎないから落ちたっていいんですよ」そう言われると狭くなっていた視野が広がって安心しました。
また、体調不良や気分がのらない時に授業や演習を日程変更したいですとメールするとすぐ返信していただいたりと、気持ち良い対応をしていただけました。
ずっとエンジンがかからず親がヤキモキしていた娘ですが、問題を解いてもすぐに分からないから教えてと言っていたのが最後には自分で考えて問題を解いたり、自学ができるようになっていきました。
受験直前期には「算数の問題がわかると楽しい!!」
「年末も正月も演習に行ってみんなと勉強したい!」
「歴史の勉強っておもしろい!」といった成長を見せてくれました。
こちらでお世話になって本当によかったと思いました。
このたび第1希望の同志社女子WRに受かることができ、入江塾の先生方々に感謝しております。
本当にありがとうございました。
3年生の2月に、入江塾に入りました。
最初の方は、塾に行くのが嫌だ、と思っていたけれど、5年生の後半からは、友達がみんな優しくて、塾に行くのが次第に楽しくなっていきました。
5年生になり、五ツ木・駸々堂テストを受けました。
結果は、国語と算数の偏差値が、低めの結果でした。
そして、しばらくして算数の点数を上げるために、駸々堂の算数の対策授業を受け始めました。
すると、みるみると算数の点数が上がっていきました。
佐藤先生が分かりやすく説明してくれて、授業の雰囲気も良かったからだと思います。
しかし、駸々堂テストの国語の偏差値は点数が不安定でした。特に、物語文と語彙が苦手でした。
なので、お父さんと一緒に心情の言葉と語彙の本の問題を解いたりし、塾で語彙のプリントを出してもらったりして、慣用句やことわざをたくさん覚えました。
そして、物語文が好きになり、得意になりました。
また、語彙の問題でも、少しは正解できるようにまではできました。
6年生では、赤本の問題をたくさん解きました。
赤本の問題は、何回もやっても、受験本番の直前にも、算数の凡ミスがひどく、国語は安定していい点数が取れないというのが多かったです。
でも、前期のWRは点数がギリギリだったりしたけれど、過去問は合格点には届くので、だんだんと自信がついていきました。
また、駸々堂テストの結果が良くて、学校の成績もよかったため、自己推薦入試を狙い、出願書を出しました。
そして、自己推薦入試の受験資格があるかの結果が出る日。
結果は受験資格があった。
その日は家族全員で喜びました。
受験前日に先生から送り出してもらうとき、佐藤先生から「何も心配はない。」と言われて、より自信がつきました。
そして、受験当日。
とにかく「やりきる!後悔をなくす!」と思って試験に臨みました。
国語も算数も落ち着いて、全部の問題を解くことはできました。
結果は、無事、合格できました。
入塾してから約3年間、いろいろ教えていただき、本当にありがとうございました。
「ソフトな中学受験」このコトバにひかれ、入江塾のホームページを開きました。
1科目60分、授業は土曜のみ、講義形式、振替自由。
大手塾の90分授業、週2回の授業+自習 と比較し、親も子も負担が軽くなるこのシステムに魅力を感じ、入塾しました。
4年生、5年生の頃は、知識のインプットの時期。
楽しく塾に行き、こんなこと勉強したよと報告してくれる娘に目を細めていました。学ぶ喜びを実感してくれていることが何よりうれしかったです。
演習では、富田先生に苦手な国語を粘り強く教えていただきました。
5年生の駸々堂模試の算数は、初めて見る問題に苦戦し失点もしていましたが6年生から始まった難関算数講座で多種多様な問題に触れるうちに、算数が得意科目になっていました。
同女が志望校だったため、目標を高めに設定し、自己推薦LAにしていましたが、WRまで届く可能性のある結果を出すまで成績が上昇しました。
自己推薦を出願するとき、親はWRかLAかで悩みましたが、娘の気持ちをたずねると、「WRのみで挑戦したい。自己推薦がだめでも、一般受験でがんばるから。」と言いました。いつのまにか娘の方が力強くなっていました。
小6クラスがはじまる前の1月の保護者説明会。
佐藤先生の締めくくりの言葉が印象的でした。
「習い事はやめないでください。やめても勉強しませんから(笑)」
このとき、入江塾でよかった。と心から思いました。
そして、これまで以上に塾を信じると決めました。
結果、習い事のテニスとピアノも、テニスを10月からお休みしただけの「ソフトな中学受験」で、志望校の合格を得ることができました。
佐藤先生はじめ、入江塾の先生方、3年間サポートいただき、ありがとうございました。
私は、四年生の初めに入江塾へ入りました。
四年生のころは、授業を聞いて、ただ宿題をこなす日々を過ごしていました。
五年生になりいろいろな学校のオープンキャンパスに参加しました。
そのとき、心惹かれたのが、同社女子中学校でした。
先生と生徒の距離が近くて仲が良く、楽しそうにしていて、私が探していたのはここだ!と思いました。
けれど、同志社女子中学校の自己推薦で必要な五ツ木・駸々堂模試の偏差値は下がり続けました。
自己推薦は無理だと分かったとき、私の心に火がついたと思います。
六年の秋以降は、本格的に過去問に取り組み始めました。
国語は、時間配分や語彙と漢字にこだわり、算数は、八木先生の個人指導で丁寧に教えてもらいました。
理科と社会は、家で復習をしたり、細かい点は、演習の先生に教えてもらいました。
塾に行く最後の日は、佐藤先生に喝をもらい、受験当日では、八木先生に喝をいれてもらいました。
各教科ごとの休憩時間では、先生からもらった自分自身の心得を読んでいました。
そのおかげで、本番では、自分の力を最大限に発揮することができました。
3年間、塾のみんなとは、たくさん笑い合いました。
いつしか、塾に行くことがすごく楽しいことになっていました。
特に、同じ志望校の友達たちには、最後の最後までたくさん励ましてもらいました。
個人指導では面白く、優しく、時に厳しく、丁寧に教えてくれた八木先生、佐藤先生、木村A先生、木村T先生、小林先生、富田先生、長瀬先生、三年間お世話になりました。
本当にありがとうございました。
4年生から3年間、お世話になりました。
息子も3年前に受験をしていて、入江塾でお世話になりました。
息子は5年秋の入塾でかなりギリギリのスタートでした。
息子の時の経験を踏まえ、もし受験をしたくなった時に慌てないように、例え受験をしなくてもやった勉強は無駄にはならないので、とりあえず通ってみようかという感じで入塾しました。
通塾するなら自分のペースで勉強ができる入江塾一択でした。
受験に対してきちんとした覚悟がないまま、6年の秋頃までフワフワした親子だったと思います。
この3年間、娘の事は娘自身に任せて、後は入江塾というか八木先生に全てお任せでした。
娘に何か言っても、八木先生に聞くから大丈夫、八木先生に相談してみると、八木先生に絶大な信頼を置いていました。
また、息子が全国を目指すような部活をしており、そのサポートも中々忙しく私もそれに甘えていました。
学校の成績が良かったので同女の自己推薦に応募したいと思っていましたが、自己推薦の対象の回になってからどんどん落ちていく偏差値は特別回まで持ち直す事ができませんでした。
ショックでしたが、現実を受け入れて頑張ろうと、ここで気が付けて良かったねと娘と話しました。
そもそも演習の量が少な過ぎで、周りの受験生と比べると勉強量が格段に少なかったと思います。
また、面談で、八木先生にギリギリですと言われたよと娘に伝えると、私も言われたと…この時にやっと親子でやる気になれたように思います。
のんびりし過ぎました。
冬期講習はほとんど毎日朝から夕方まで大丈夫かなと思う程通っていましたが、何より楽しいし、家より集中できるし先生に質問できるから全然大丈夫!と喜んで通っていました。
受験当日に、八木先生を囲んで皆んなで楽しそうにしている姿を見て、素敵な先生と仲間に恵まれて本当に良かったなぁと温かい気持ちになりました。
先生方のお陰で合格する事ができました。
本当にありがとうございました。
私は、同志社女子中学校WRコースに合格しました。
私が入江塾に入ったのは、5年生の夏期講習前でした。
入江塾は演習で先生方にわからない問題をすぐに質問できるのがとてもよかったです。
私は宿題を日曜日に自分のできる範囲で終わらせて、演習の時に先生に質問したり、余った時間に五ツ木・駸々堂模試の過去問や苦手分野の復習に取り組んだりするようにしました。
先生が一人一人の苦手分野を理解してくれているので自分に合った勉強ができました。
国語の個人指導では、小林先生と基礎の文法から勉強を始めました。
わかりやすい説明のおかげで少しずつできるようになりました。
直前には漢字の総復習もしました。
読んだ本の話もたくさん聞かせてくれました。
算数の個人指導では、計算間違いが多く五ツ木模試や過去問・プレテストでも多く点数を落としていたため、八木先生と計算間違いを一問したら計算プリントを1枚やるという約束をして取り組みました。
おかげで年末ごろには計算間違いがずいぶん減りました。
難関校対策算数の授業では佐藤先生が、短い授業時間で一人一人の質問にていねいに答えてくれて、とてもわかりやすかったです。
ずっと苦手意識があった社会も、演習の時間にプリントを出してもらったり、冬期講習で木村先生にもらった「社会ファイナルチェック」を何度もくりかえし取り組んだりしました。
過去問でも点がとれるようになって自信がもてるようになりました。
友だちに助けられたこともたくさんありました。
難関対策算数で、私が悪い点を取るとみんながなぐさめてくれました。
休み時間にみんなで外廊下に出て外の空気を吸って気分転換をしたことや、先生方と一緒に勉強以外の雑談で盛り上がったことも楽しく、勉強をがんばろうという気もちにつながりました。
受験前日は佐藤先生に「今から受験まで絶対に勉強するな。今までやってきた自分の力を信じろ」と言われ、本当にこのまま受験して大丈夫なのか不安になりましたが、その通りにしました。
最後には、佐藤先生が「大丈夫。絶対受かるから。」と応援の言葉をかけてくださいました。
「絶対に受かる」と自分に言い聞かせながら家に帰りました。
早めにベッドに入りましたが、今までの努力が明日からのたった2日間で終わってしまうのだと考えると眠れず、結局寝たのは9時くらいになったと思います。
しかし、翌朝は頭がすっきりした状態で試験会場に向かうことができました。
父と母からは「前期の同女で全力を出し切ってきて!落ち着いて問題と向き合ったら絶対に受かる!」と応援の言葉をかけてもらいました。
試験会場には、個人指導をしてくださった八木先生が来てくださってので、すごくうれしく、緊張が解け、リラックスできました。
八木先生から、1人一つ、塾の先生方全員からの寄せ書きと、カイロ、キットカット、あめ、オリジナルの消しゴムをもらいました。
同女を受験する5人で、「入学式にみんなで会おうね。」と声を掛け合いました。
八木先生は、ぎりぎりのところまできてくれて、「がんばれ!」と応援してくれました。
試験会場は私だけ別のフロアで緊張しました。
席に座った時、初めてオリジナルの消しゴムのイラストが八木先生と佐藤先生の似顔絵だと気付き、「先生たちがついているから大丈夫」と落ち着くことができました。
そのあとは、がむしゃらに問題を解いたら試験が終わっていました。
午後は聖母学院中、2日目も同じスケジュールで同女と聖母学院中を受けました。
2日目の聖母学院中の試験を受けた後、合格発表を見る予定でした。
合格発表を見る前、同志社女子はだめだったかもしれないと、ほとんどあきらめていました。
合格発表のページを開き、自分の番号の横に「WR」と書いてあるのを見つけても信じられませんでした。
すぐに塾に電話をすると、八木先生から「おめでとう!WR受かったじゃん!佐藤先生とさっきおどったよ。」とうれしそうな声が返ってきて、本当に合格したのだと思いました。
翌日合格通知も届き、ようやく本当に合格したと————確信しました。
おもしろく勉強ができる入江塾と先生方が大好きです。
本当にお世話になりました。
この度、娘が念願の同志社女子中学校WRコースにご縁をいただきました。
あたたかく、時には厳しく支えお導き頂いた先生方、目標に向かって共に励んだお友だちのみなさん、本当にありがとうございました。
娘の中学受験は、3年生2月に他塾でスタートしました。
目の回るような早い進度、週テスト・コース分けテスト・その度に張り出される得点や順位・コース変更・席替え・・・。
100m走を休みなく繰り返すような日々に、5年生になったころには、娘も私たち親も、身も心も疲れ果てていました。
中学受験は私たち親子には合わないのではないかと夜おそくまで娘と話し合った日もありました。
このままの状態が続けば、大切なものを失うような危機感がありました。
転塾か中学受験からの撤退か、そんな時、ふと3年生の頃ホームページを拝見していたものの通塾距離を考えて断念した入江塾が思いうかびました。
入江塾でなら、こんな状況でも中学受験を諦めたくないという娘の願いを叶えてあげられるかもしれない、藁にも縋る思いで説明会に参加し転塾したのは、5年生の7月のことでした。
先生方に「慣れるのに数カ月はかかります。」と言われたものの、娘はすぐに新しい環境に慣れ、心配していた通塾についても、2回の乗り換えがあり片道50分ほどかかる道のりも楽しんでいるようでした。
演習でわからないことをすぐに質問し解決できるという安心感は親子ともに大きく、これまで家庭で全面的にフォローしていた学習も塾にお任せし、土曜日の午前中に「漢字大丈夫?」、日曜日に「宿題終わった?」と声をかける程になりました。
帰宅後は楽しかったエピソードをたくさん話してくれるようになり、それは受験前日まで続き、家族でたくさん笑わせてもらいました。
5年の秋に当時の6年生から「ちゃんと勉強しないと俺みたいになるぞ。」とアドバイス?をもらったこともあったようです。
娘がその言葉を肝に銘じたかは不明ですが、同じ教室の中に1年後の自分や1年前の自分を感じることができるのは、演習でほかの学年の塾生と関わることのできる入江塾だからこその貴重な経験だと感じました。
佐藤先生の「中学受験がゴールではない。子どもに合っていて、入学後の6年間でしっかり伸びていける学校を」との助言を受け、同志社女子中学校WRコースを志望校として、5年の終わりから難関算数、新6年のスタートから国語の個別指導、5月から算数の個別指導で鍛えていただきました。
塾は大好きなものの、なかなか自分から質問できないところや個人指導に手ぶらで臨むようなのんきさがある娘でしたが、成績だけではなくいいところも悪いところも全部引き受けて丸ごと包んでくださっているような懐の大きさで、根気よく向き合い伸ばしていただきました。
また、他塾では家庭でフォロー必須の五ツ木・駸々堂模試の解き直しや全教科の苦手の把握、過去問に至るまで、算数の個人指導でお世話になった八木先生をはじめ各教科の先生方に演習時間にご指導いただきました。
できたときはストレートにほめて一緒に喜んでくださる佐藤先生、調子に乗りやすく油断しやすい娘の性格を理解して絶妙なさじ加減で舵取りしてくださった八木先生、家庭では決してできないプロのチームワークで導いていただきました。
12月入った頃、「先生にWRの合格をプレゼントしたい!」と宣言。過去問で合格最低点にあと一歩届かず涙をこぼしたこともあったそうです。
いつまでたっても本気が見えない娘の一皮むけた瞬間だったかもしれません。
以前面談でお聞きした「やる気がない時にいくら勉強をしてもあまり効果がない、本人のやる気に伴って適切なサポートをすることでぐんと伸びていく」というお話の通り、娘に寄り添いながら最後の最後まで力を伸ばしていただきました。
合格を手にした娘がふとした瞬間に、「塾に行きたい。みんなと勉強したい。」とこぼします。
「みんなと一緒のクラスになりたな。」と希望を語ります。
友だちや先生と過ごしてきたかけがえのない時間が娘の大きな財産になっています。
転塾前はとてもハッピーエンドなんて想像できなかった娘の中学受験がこのような形で終わりを迎えるとは・・・。
入江塾の魔法としか思えない。そんな気持ちです。
あたらめて、先生方、お友だちのみなさん、本当にありがとうございました。