桃栗三年柿八年という言葉があります。
桃や柿は実が取れるようになるまでに長い期間がかかりますが、それと同じように物事を成就するにはそれ相応の時間がかかるものだという諺です。
実際に実が取れるまで桃は3年、柿は8年くらいかかりますが忠実にそれを表現した語呂の良い諺ですね。
ところで、この諺には続きがあり、いくつかの言い回しがあります。
・ユズは大馬鹿18年
・ウメは酸い酸い13年
実際はこれほどの年月はかからないそうですが、木が成長して果実をつけるまでの苦労が伺えるような言葉ですね。
植物でもこれほどの年月をかけて成長するのですから、人間の成長に時間がかかるのも無理はありません。
現に劇作家の武者小路実篤は先の諺を用いて、
「桃栗三年柿八年、達磨は九年で俺は一生」
と言っています。
「達磨大師は中国の嵩山少林寺で九年間の座禅を続けた。自分が実るには一生かかる、修行の人生だ。」ということでしょう。
この言葉からは人生の奥深さが読み取れます。
各科目を勉強して学力を高めていくのは学生のうちだけですが、広い意味での勉強は終わりがありません。
また、物事を本当に突き詰めようとすると、習得に時間がかかるものです。
通り一遍の解釈だけならばまだしも、自分自身が独自に研究して道を進んでいくとなると、どこまでも奥深くなっていきます。
人生における勉強は奥深いですが、学生の間の勉強はその深淵に辿り着くためのトレーニングとも言えるでしょう。
そのアプローチの仕方は様々です。
例えば暗記に関しては興味がないことでも覚えられる人がいれば、興味がないことには手をつけられない人もいます。中身をきちんと理解しないことには覚えられない人もいます。
それぞれ勉強の仕方は全く異なるでしょう。
機械的に覚える人、興味が持てるポイントを探す人、内容の理解を通して自然と覚える人などそれぞれアプローチの仕方は違いますが最終的には同じことを覚えます。
暗記分野については覚えることがテストにおける最終目標なので、自分の特性に合った勉強法でいいのです。
まずは覚えることが大切です。
そうして様々な分野で知識や物事の成り立ちを学んでいきます。
しかし、大事なのは知識は覚えたら終わりだと思ってしまうと、本当にそこで終わってしまうということ。
つまり、そこからの広がりが無くなってしまうのです。
覚えた知識を用いて思考を広げていくことが、勉強を通して得られる”成長”です。
ですから一度覚えた知識はすぐに使わなくても、出番が来るまで大切にしておくのがいいでしょう。
武者小路実篤のように「俺は一生」と言えるくらいの自分のテーマと向き合うときには、思考材料がないと深く掘り進んでいけないでしょう。
そのときにそれまでの人生において培ってきたものが生きてくるというわけです。
勉強とは自分の人生を豊かにするための準備だと捉えると苦手なことにも前向きに取り組めるかも知れませんね。
筆者:秋定